職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

大リーグを経由せずに日本へ-ディック・ディサ

ディック・ディサ Dick Desa 
1941年2月3日生まれ
身長:180cm(入団時の記事によると178cm) 体重:82kg(入団時の記事によると75kg)
右投げ右打ち

ハワイ朝日-大毎(1961~1964)-近鉄(1964~1965)

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本名はリチャード・A・ディサだが、ディック・ディサという名前で登録されていたのだろうか。
『ベースボールマガジン』が発行した外国人名鑑ではDick Desaとなっていたため、そちらに倣った。

ハワイ朝日時代から速球投手として有名で、カージナルス、ブレーブス、ジャイアンツの米3球団と大毎、南海、東映、中日の日本4球団が彼を狙っていたらしい。

結局ディサは大毎を選んで入団。東京の球団をディサ本人が望んだとも言われている。また、大毎球団がハワイ野球界と繋がりがあったことも影響したようだ。

ディサが来日する際、大毎オーナーである永田雅一は羽田空港まで足を運んで歓迎した。

この時、パ・リーグは近鉄のミケンズ、南海のスタンカと外国人投手が活躍しており、対抗できる選手が欲しかったためだ。

プロ入り後は、評判通りの速球を披露したが制球難が活躍を阻んだ。
また、3年目の9月14日には自動車を運転してダンプとぶつかる事故を起こし怪我。右肘、右膝全治一ヶ月を負う重症であった。

翌年、1964年の4月23日には大毎からウェーバー公示。つまりは解雇されてしまったわけだ。
ウェーバー公示された直後に近鉄が獲得を表明したが、近鉄でも成績はさっぱり。
事故で右ひじを痛めてしまったことも、不振につながったという。

引退後はハワイに帰り保険会社で勤務したが、日本の立川米軍基地で監督を務めたこともあった。

現役時代に持っていた武器は速球とシュート。サンスポの記事にはスライダーが武器という記述もあったが、当時の記事には見られない。


ただ当時の記事曰く、ナチュナルにシュート、スライダー回転する球を投げていたようなので、今でいうツーシームのような球を投げていたのかもしれない。また、他にカーブも投げた。 


※参考文献 『週刊ベースボール』『ベースボールマガジン』松下茂典『プロ野球全外国人助っ人大事典』 読売新聞 【12月14日】1960年(昭35) 大リーグより日本でプロに…19歳ディサ、日米11球団争奪戦 (1963年のシーズンオフの交通事故がシーズン前になっているなど、信憑性にはやや疑問)