職業野球を追いかけて

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「最弱」の青春ー長谷川晶一『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』書評

1954年から1956年にかけて、わずか3年の間存在した球団「高橋ユニオンズ」。

本書は「幻の球団」とも言われた高橋ユニオンズについて、当時の関係者への取材や資料発掘を行い執筆されたノンフィクションだ。

最弱球団 高橋ユニオンズ青春記

最弱球団 高橋ユニオンズ青春記

 

高橋ユニオンズが野球雑誌やWebサイトで紹介されるとき、そこにはどこか嘲笑の気配がする。本書のタイトルにもある“最弱球団”。この言葉が付きまとうためだ。

 

通算勝率.344……。試合を行うたびに敗北を重ね、遂には解散にまで至ったこの球団をプラスの向きで見る野球ファンは少ない。

だが、著者・長谷川晶一氏はそう見ない。また、本書で取材を受ける当時の関係者も、そう思っていない。

当時、高橋ユニオンズにルーキーとして入団し、のちに「プロ野球ニュース」でもキャスターを務めた佐々木信也氏は本書でこう語る。

 

「決して手柄話ではないかもしれないけど、僕にとっては高橋ユニオンズとは本当に懐かしい、いい思い出の1ページですね」(p218)

 

当時から「テールエンド必至」と言われ、弱さの象徴だった高橋ユニオンズ。チームが無くなってからも、野球ファンの間で名前が挙がるときはその弱さが話題となる。

長谷川氏は資料を掘り起こし、弱さだけを改めてピックアップしたわけではない。長年に渡り丁寧な取材を重ね、当時の選手たちがチームに抱いた“青春”をも浮き彫りにさせて、これまで陽が当たらなかった彼らの思い出を掘り起こした。

 

「病院にいてもいつでも(電話に)出たるからな」(p245)

 

高橋ユニオンズでエース格として活躍した伊藤四郎からは、信頼されていることが伺える言葉まで投げかけられている。取材を積み重ね、関係者と打ち解けることが出来た証拠だ。

 

また、文庫版あとがきには、単行本が出版されたあと、関係者が次々に逝去されたことが追記されている。もし長谷川氏が声を聞かなければ、永久に失われてしまっていた証言の数々。それを書籍として残した価値は大きい。

「最弱」の球団だった、だが……

本書で記されている事実の多くは、チームの弱さに主眼が当てられている。

だが、それだけではない。

移籍先であるユニオンズでもう一花咲かそうとしたベテラン選手の踏ん張り、期待される若手選手の躍動、そして選手の打率を毎試合手計算で出すほどにチームを愛していたオーナー……。

あのときユニオンズが持っていた明るい部分にも光を浴びさせている。関係者に取材を重ね続けた長谷川氏はあとがきでこう書く。

 

「最弱」ではあったけれども、「最低」ではなかった。(p248)

 

本書を読めば、この一文の意味とユニオンズナインの青春が、痛いほど伝わるはずだ。