職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

5球団で二番手捕手を務めた-山中潔

山中 潔 やまなか・きよし
1961年10月29日生まれ 大阪出身
身長:178cm 体重:76kg
右投げ左打ち PL学園-広島カープ(1980~1988)-福岡ダイエーホークス(1989~1990)-中日ドラゴンズ(1990~1991)-日本ハムファイターズ(1992~1994)-千葉ロッテマリーンズ(1995~1996)

 

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1979年にドラフト5位でPL学園から広島へ入団した捕手。

広島時代は一軍定着まで5年かかったが、1984年頃から達川光男とポジションを争い始めた。この時代、速球派投手は得意だったが、左腕投手が投げる変化球を苦手としていたようだ。

 

さらに1985年は90試合出場と出番を増やすが、年々試合数が減少。1988年オフには山田勉とのトレードで、ダイエーへと移籍した。

ダイエー移籍初年度となる1989年は、正捕手が固定できていないチームのなかで内田強に次ぐ45試合に出場。他に香川伸行吉田博之らとポジションを争った。だが、翌1990年開幕前に中日へとトレード。

その中日での1年目、1990年は中村武志の二番手捕手として66試合に出場。さらに31試合に出場した1991年のオフに五十嵐明との交換で日本ハムへトレードされたあとは、田村藤夫の二番手として出番を得た。

日本ハムを1994年限りで退団したあとは、ロッテにテスト入団。1995年は定詰雅彦に次ぐ61試合に出場したが、翌1996年限りで引退した。

二番手として活躍できた要因は、達川、内田、中村、田村、定詰と一番手の捕手が右打ちだったことに対して、山中が左打ちだったことも影響していたのではないだろうか。左打ちであれば、相手投手の左右によって選手を使い分けるために出番を得ることがある。晩年の打撃成績は悪いが、広島、ダイエー、中日時代は打率を残していた。


肩も晩年までは光るものがあったようだ。