職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

黄色靭帯骨化症を発症した左腕-大隣憲司

大隣 憲司 おおとなり・けんじ

1984年11月19日生まれ 京都府京都市出身

身長176cm 体重88kg 左投げ左打ち

京都学園高-近畿大-福岡ソフトバンクホークス(2007〜2017)-千葉ロッテマリーンズ(2018)

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大学では2005年に1試合19奪三振の大学リーグ新記録を樹立するなど活躍を見せ、当時、立命館大に所属していた金刃憲人と共に「大学生ナンバーワン左腕」の名を争った。

いくつかの球団が獲得する姿勢を見せたが、結局2006年の希望枠制度でソフトバンクに入団。江夏豊の背番号「28」を渡されるなど、期待されていた。

 

しかし、1年目はキャンプ前にいきなり足の怪我、さらにキャンプ中にも腰を痛めるなどつまづいた。

さらにシーズン中も腕の張りなどを訴えて、結局8試合の登板に留まり、2勝4敗と負け越し。二軍でも6試合の登板に終わるなど期待を裏切ってしまった。

 

巻き返したい翌2008年、開幕ローテーションに加わると3月25日に完投勝利。このまま勝ち星を重ね、チーム最多となる11勝を挙げた。

このまま波に乗りたいところだったが、オフに左肘を手術。不安を残した。

 

2009年はそれが的中。開幕から不振が続き、6月には自動車事故で怪我をする不運に見舞われた。以降は中継ぎ、先発と配置転換が続き、最終的に8勝10敗と負け越し。

2010年も4勝9敗、防御率4.31と成績を残せず。二軍では4試合で防御率2.16と好成績だったが、さすがに今さら二軍を相手に結果を残しても……という状態だった。

 

ストレート、スライダー、カーブ、チェンジアップを投げ、他にフォークを投げる。球速は130キロ台とそこまで速くなかったが、キレで勝負するタイプだった。

 

翌2011年、前半戦は成績が悪く登板機会が少なかったが、後半戦で3勝を挙げ、翌年に期待を残すと、2012年は12勝5敗、防御率2.03と自己ベストの成績を残した。

この活躍から2013年も注目されたが、春先に黄色靭帯骨化症という難病を患う不運。酒井勉宮本大輔越智大祐などの投手が苦しんだ病気で、のちに徳山武陽南昌輝も発症している。

 

野球どころの騒ぎではなかったが、翌年の7月に一軍昇格すると7月27日に白星を挙げた。その後も2勝を挙げ、シーズンを通して3勝1敗、防御率1.64と病気明けとは思えない活躍を見せた。ちなみにこの頃になるとストレートが遅くなり、フォークをほとんど投げないようになっていた。病気や手術の影響があったのかもしれない。

 

2015年も好調だったが、6月に左肘を故障し離脱。2016年も二軍20試合に登板し、7勝7敗、防御率4.34の成績を残すも、一軍では1試合の登板に留まった。

2017年も1試合のみの登板に終わると、オフに戦力外通告を受けた。二軍では6勝4敗の成績を残すも、防御率5.20では厳しいと判断されたのだろう。

 

ソフトバンク退団後はなかなか去就が決まらなかったが、翌2018年2月の春季キャンプ中にロッテのテストを受けて合格。李杜軒ペゲーロと共に入団した。

 

拾ってもらった恩を返したいところだったが、5月2日のシーズン初登板で古巣・ソフトバンクを相手に1回2/3を投げて7失点と炎上。雨が降りしきるなかでの登板ではあったが、さすがにこの成績では厳しい。翌日二軍へと降格した。

結局一軍登板はこの試合のみに終わり、9月25日に引退することに。10月3日にヤフオクドームで行われた古巣・ソフトバンク戦で最後の登板を果たした。この試合ではかつてバッテリーを組んだ高谷裕亮が涙を流していた姿が印象に残る。

 

持っているものは素晴らしく、和田毅杉内俊哉のような活躍も夢ではなかったが、怪我や病気が活躍を阻んでしまったか。

引退後は、同年に引退した岡田幸文根元俊一金澤岳と共にコーチ就任。苦労人の経験を伝えたい。