職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

シュートが武器だが内角を攻められないことも……-井本隆

井本 隆 いもと・たかし

1950年11月21日生まれ 高知県出身

身長179cm 体重74kg 右投げ右打ち

伊野商業-鐘紡化学-近鉄バファローズ(1973〜1982)-ヤクルトスワローズ(1983〜1984)

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1972年のドラフトで近鉄から3位指名を受けて入団。

1年目はすべて中継ぎでの登板だったが、2年目の1974年5月5日にプロ初先発。35試合中6試合で先発として起用された。

 

1976年に大きく負け越すものの155回1/3を投げるなど頭角を現し、ローテーションに定着。1979年には15勝4敗、防御率3.61を記録するなどエース格として活躍を見せた。翌年も“飛ぶボール”の影響からかリーグ最多となる42被本塁打(シーズン2位タイ記録)を記録したが、それでもチームトップとなる15勝の成績を残した。

 

1981年は成績が落ち込んだものの、1982年には11勝4敗と再び二桁勝利を達成。しかし、オフに鈴木康二朗+柳原隆弘とのトレードでヤクルトに移籍した。

これはWikipediaからの孫引きだが、引退後に出版した暴露本によると1981年の成績低迷とヤクルトへのトレードは私生活でのゴタゴタ(タレントの横山エミーとの不倫問題)が影響していたようだ。

 

しかしトレードが裏目に出たのか、1983年は6勝14敗、防御率5.46の成績で最多敗を記録してしまい、翌年も27試合に登板したものの、勝ち星は1つのみ。オフに引退を表明することとなった。

引退後は少年野球チームの監督を務めるなどしたが、2015年1月21日に膵臓癌のため死去。64歳だった。

 

シュートを武器とするタイプで、他にカーブとスライダーを投げた。しかし、1982年〜1983年頃に発売されたと思われる「プロ野球チップス」のおまけカードに稲尾和久が書いた評論文が掲載されているが、これによると死球を恐れて内角を攻められないこともあったようだ。(以下全文)

 

「球威がないからちょっと力だけでは通用しない。持ち球であるカーブとスライダーを打たれて自滅している。いいシュートを持っているのだが、死球を恐れて使わないから外角球が生きてこない。後半は内角球を生かせば勝ちにつながる。」