職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

ダブルストッパーの一角-河本育之

河本 育之 かわもと・やすゆき

1967年10月21日生まれ 山口県出身

身長172cm 体重78kg  左投げ左打ち

布施工業高–新日本製鐵光–千葉ロッテマリーンズ(1992〜1999)–読売ジャイアンツ(2000〜2004途中)–北海道日本ハムファイターズ(2004途中)–東北楽天ゴールデンイーグルス(2005〜2007)

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高校時代は軟式野球部に所属していたという異色の経歴の持ち主で、当時はノーヒットノーランを達成するなど活躍を見せた。この実績から社会人の硬式野球部に入団。ここでも経験を積み、1991年のドラフト2位でロッテに入団した。

 

1年目の4月にリリーフで起用されて月間MVPを獲得し、オールスターにも出場。シーズンで40試合、2勝4敗19セーブ、防御率2.58とルーキーながらめざましい成績を残した。

時折カーブやフォークを投げるものの基本的にはストレート中心のピッチングで、この球は微妙に動く変化(今で言うムービング・ファストボールか)を見せたようだ。

 

翌1993年も40試合登板で18セーブ、防御率3.09と活躍を見せたが、1994年は49試合で防御率4.21と不調。抑えの座に成本年秀が座ったこともあり、セーブも2に留まった。

 

それでも1995年は40試合で防御率1.64と成績が大幅に改善され、成本と共に“ダブルストッパー”としてチームの2位躍進に貢献。1996年、1997年もリリーフとして活躍し、1997年には25セーブを挙げて最優秀救援投手に輝いた。

 

しかし勤続疲労が溜まったのか、1998年はシーズン途中に故障離脱。このシーズンは成本も前年の故障の影響で1試合も投げておらず、リリーフの両輪を失ったチームは悪夢の18連敗を経験することになった。

 

さらに1999年も故障が響いたか21試合の登板に留まり、防御率も4.50。オフに石井浩郎とのトレードで巨人へ移籍した。だが、2000年が21試合の登板、2001年、2002年、2003年が25試合の登板と、好成績が残せない影響から出番が減少。2003年のオフに中村隼人とのトレードで日本ハムに行くこととなった。

 

ロッテ時代のような活躍を見せられないシーズンが続いていたが、2004年は29試合に登板して防御率2.86と悪くない成績。しかし、オフに自ら自由契約を打診し、テストで楽天に入団した。

 

この頃になるとカーブ、カットボール、フォークを投げる割合が増え、ストレート一本槍の投球から変化。2005年こそ13試合の登板に留まったが、2006年は40試合を投げて14ホールドを記録するなど、ピッチングの変化が功を奏したかのような成績を残した。

 

しかし、さすがに衰えが来たのか2007年は8試合の登板に留まり、4回2/3を投げて被安打6、与四球6と走者を許し、オフに戦力外通告を受けた。

 

若手時代の活躍は目覚しいものがあったが、その後は成績が低迷。それでも40歳まで現役でプレーし、通算500試合に登板したのは見事。引退後は巨人に戻り、「ジャイアンツアカデミー」のコーチや二軍投手コーチを経験し、現在はまたジャイアンツアカデミーのコーチに復帰している。